パーチナ



トスカーナ州が誇る世界遺産の街シエナから東に25km、キャンティ クラッシコ地区の南端に位置するカステルヌオーヴォ ベラルデンガの郊外にあるパーチナ。彼らの農場がある土地の歴史は古く、始まりは紀元前まで遡ります。

イタリア半島の先住民族エトルリア人がこの場所に住んでいて、エトルリアのワインの神パチャ(パクナ)から取られたのがパーチナという名前の由来だと考えられています。10世紀に修道院として建てられた建物とその当時に開墾されたブドウ畑や畑、森に囲まれた60ヘクタールの敷地を、1933年に現当主ジョヴァンナの曾祖父エドアルドが買い取ったところから農場の歴史は始まります。

物理化学の教授で環境問題やエコシステムについての研究をしていた父エンツォと、環境学者として大学で働いていた母ルチアは、1972年に家族の農場へと戻ってきました。そして、それまでこの地域で普通に行われてきた農薬や化学肥料に頼らない農業が失われていく姿を目の当たりにし、自身が理想とする畑の生態系と微生物環境をパーチナで実践し、後世に残すことを決意しました。

単一の果実や作物で畑を埋めつくすのではなく様々な作物を栽培、広大な土地を使って常に休閑地を設けことで畑の地力を回復させるなど、大きなサイクルでパーチナという農場を有機的で持続可能な場所にしています。パーチナの土壌はトゥーフォ ディ シエナと呼ばれる500万年前に海であった証拠である凝灰岩から構成される砂質がメインで、粘土や丸い小石が入り混じっていることからも大地になった後に川が流れていた痕跡が残されています。

キャンティの大手ワイナリーで働いていたミラノ出身のステーファノは、同僚だったレ ボンチエのジョヴァンナ モルガンティの紹介で、後に妻となるジョヴァンナ ティエッツィと知り合いました。その後別のワイナリーで醸造責任者を務めることになりますが、パーチナで行われている農業の在り方に共感し、この農場のブドウでワインを造りたいと思うようになりました。そしてワイナリーを退職しジョヴァンナと2人でパーチナを引き継ぐ決意をします。それまで量り売りや桶売りしていたワインを1987年ヴィンテージから自家元詰めを開始、作家でもあり絵も得意だった母ルチアに描いてもらったラベルを貼り付け彼女たちの最初のワインがリリースされました。



洞窟のような地下セラーの床は、粘土に石灰を混ぜ地面に塗って叩いて作られたもので(日本で言うところの三和土たたき)、最深部は、隆起する前はもともと海だった砂質の層。壁面には、1000年以上前に修道院だった当時掘られたときの跡があったりと当時のままの姿で残されています。セラーでの仕事は5世代続く中でも変わることはなく、大きなセメントタンクで温度管理することなく野生酵母での醗酵を行い、様々な大きさの木樽に入れた後、ボトリングまでの期間(パーチナで24か月間)を一回も樽の移し替えを行なわず醗酵の続きと熟成を行い、ノンフィルターでボトリングし、瓶詰め時のニ酸化硫黄の添加も極少量のみとしています。

1987年からキャンティ コッリ セネージ(畑はクラッシコ地区にありますが申請していないためコッリ セネージでリリースされていました)でワインを販売してきましたが、2009年ヴィンテージにワイン中の二酸化硫黄量が少ないという理由で認証を落とされたため、DOCGに未来を感じられなくなり以後IGTでリリースするようになりました。2016年から二人の子供マリーアとカルロが本格的にワイナリーとアグリツーリズモの手伝いを始め、さらにマリーアの夫ロベルトも加わりパーチナの伝統は6世代目へと受け継がれようとしています。

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