ラ ガッゼッラ
イタリアで独占的な立法権が認められている5つの特別自治州の一つヴァッレ ダオスタ州のほぼ中央に位置する人口900人の小さな村、シャンバーヴでマリレーナ ヴォイヤットによって営まれるワイナリー。アオスタ渓谷は紀元前3000年代前半にはブドウが栽培されていたことが分かっている場所で、紀元前400年頃にケルト人によってワインに関する知識がもたらされたと考えられています。ローマ帝国時代にシャンバーヴのモスカートで造られたワインの価値が広く知られることになり、中世には貴族の贈り物として珍重されました。
ヴォイヤット家は1800年代にはこの土地でブドウ栽培とワイン醸造を始めていて、誇り高い精神を一族の手によって現代まで受け継いできたワイナリーです。標高500mほどの2ヘクタールの畑は石垣で支えられた急峻な斜面にあり、心地よい風が吹く砂質土壌の土地で、年間の降水量が少ないことからもボルドー液すらほとんど使うこともなく、今でも自根のプレフィロキセラのブドウが栽培されています。
マリレーナの父エツィオ ヴォイヤットは、カジノでディーラーの仕事をしながら合間に畑やセラーでの作業をし、イタリアワイン史に名を残すほどの素晴らしいワインを生み出してきた伝説の人物。エツィオがワイナリーを受け継いだ当初は州唯一の格付け銘柄ヴァッレ ダオスタDOCでワインを販売していたものの、原産地呼称委員会が伝統的にブドウを栽培してこなかった場所にも原産地呼称を認める動きがあったことに反発し、DOCを名乗らずに自身のワインをリリースすることを決めました。その後も歴史や伝統に敬意を払い、ブドウの栽培された環境や元々備わっているブドウ本来の味わいをワインに投影させることに命懸けで取り組んできました。
2003年にエツィオが他界、年老いた妻にワイナリーは引き継がれたものの、2012年に妻が亡くなったことからワイナリーは休止状態となり醸造やボトリングの認可を失効していましたが、ワイナリーの再興を夢見てブドウ畑だけは手を入れ維持してきた、元陸上選手でオリンピック関係の仕事をしていた娘マリレーナの手によって復活を遂げることになります。復活直前の数年間は様々な造り手に委託醸造を依頼していましたが、彼女の仕事の定年をきっかけに2019年から自家醸造と瓶詰めを再開、改めて認可を受けるにあたり、ワイナリー名をエツィオ ヴォイヤットからラ ガッゼッラに変更しました。ガッゼッラは「ガゼル」を意味する言葉で、マリレーナの陸上選手時代の異名であったことから、辛口モスカートを愛してやまなかったエツィオが、愛娘の愛称を自らのお気に入りのワインにつけた経緯からワイナリー名として新たに付けられました。
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